Photo Bloomberg

日銀が7月28日の政策決定会合で変則的な変更を打ち出してから週が明けてまだほんの数日ですが、市場ではすでにこれが大失敗だったのではないかという見方が広がりを見せています。
まず従前からYCCの変更、上限を高めればJGB10年債の金利は間違いなく上昇しドル円は円高が進むと見られていましたが、そのような状況が示現したのは発表からほんの短い時間で週が明けてからは日経平均もドル円も大きく上昇する相場が続いています。
早々に拙速な評価を出すのは禁物ですが、植田総裁就任後初の政策修正となった今回のYCCの運用柔軟化という決定は事実上市場の理解を全く得られることなく大失敗になってしまった可能性が高まりつつあるようです。

とくに顕著なのはドル円の上昇

日銀会合前後のドル円相場の動き

先週のコラムでもすでにご紹介していますが、日銀は全体として緩和の巻き戻しや引き締めではないとしながらもYCCの上限を0.5%が望ましいが1%までは許容するという極めて日本的、官僚が持ち出すロジックで政策修正を持ち出してきています。
ほとんどの市場参加者はこれを受けてYCCの上限がすでに1%に設定変更され今後廃止に向う可能性がかなり高くなったと読み込んだようですが、週明け31日の市場で10年債金利が0.6%を超えたあたりに突然日銀が指値オペのオファーを出してきたことで市場は疑心暗鬼になり、すかさずドル円ショートの買戻しが進んで142円台中盤を超える値動きを示現することとなりました。
市場参加者がもっとも理解に苦しんだのは1%までは許容範囲としながらも0.6%を超えたところでいきなり日銀が指値オペを行ってきたことで、実際には応札はなかったようですが今回の不可解なYCC運用変更は結果的に緩和の引き締めでもなんでもないものと認識されてしまったようで、ドル円は8月相場で再度145円方向を試す展開が強く予想されはじめています。

市場は2024年春にYCC撤廃を見込み始めている


ブルームバーグの直近の市場調査では今回の変更内容を経てほとんどの市場参加者が年内の追加変更は行われず、あるとすれば2024年4月にYCCを全廃すると予想していることが見えてきます。
従ってここから来年春先までの為替相場はドル円が大きく円高方向に動かずまだまだ高値追いをする相場展開が続きそうな状況となってきています。
実際FRBは7月のFOMCでも0.25%の利上げを決定しているためFF金利ベースでは日米の金利差はさらに拡大しており、円安の継続についてもロジック的な整合性が見えているのが実情です。

植田総裁は先週の記者会見上めずらしくYCCの修正が為替への効果、つまり円安の修正につながる効果についてもやんわりと指摘をしていますが、本来YCC上限実質1%ならばよりドル円は円高に進むはずだったのにそうした効果は全く見られないままドル高円安相場に軌道が戻りつつあります。
月次ベースのCPIはすでに本邦のほうが米国を上回る上京が継続しているため、来年度は1.9%に下落する見通しで今年は一切利上げを行わないという姿勢はさすがに市場の理解を得られるものではなく、相変わらず緩和継続を口にする日銀に違和感をもつトレーダーは日に日に増えているのが現状です。
金融市場は経済学の実践の場ではないので相対的な相場状況の中で間尺に合わない状況が示現することはよくあることですが、こうした状況を日銀自ら作り出してしまっているという点は非常に憂慮すべきものがあるのではないでしょうか。

この先日銀会合の度に緩和巻き戻しの催促相場が進む可能性も

こうなると市場は日銀会合が開催されるたびに円売りを伴った催促相場に打って出ることも十分に考えられ、その水準次第で本邦財務省の為替介入とも戦っていくことを余儀なくされる状況が続きそうです。
植田総裁はとにかく会見上言質をとられるような余分なことは一切言わないように細心の注意を払っていることは見ていれば十分に理解できますが、本邦の記者だけを相手にしていても過不足のない十分なコミュニケーションを果たしているとはお世辞にも言えない状況で、さらに日銀の官僚ワードがそれをさらに判りにくいものにしていることがすでに露見しはじめています。
総裁就任にあたって様々な前提条件を受け入れることで任命されている人物のため、YCCを早期に廃止したいと思っている可能性もありますが、それを迂闊に口にできないところに植田総裁の厳しい立ち位置が続いていることが伺われる状況となっています。
為替相場は延々と一方向にだけ動くことを期待することはできませんが、現状の市場の反応を見る限りドル円まだまだドル高円安に進む可能性があることは十分に意識しておきたいところです。

日銀の政策を巡ってここまで相場が荒れるというのも久々ですが、その位足元の植田総裁のオペレーションは市場の理解を得られていないところが危惧されます。